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● <マウイ島>

 ハワイの島シリーズ、5週目はマウイ島です。

  ∴‥∴‥∴‥∴


 1.マウイ島

 『ザ・ヴァレー・アイランド(渓谷の島)』のニックネームの
マウイ島。ハワイ諸島ではハワイ島に次いで2番目に大きい島で、
その大きさは東京都よりひとまわり小さいサイズです。

 もともとは二つの火山島だったのが、ハレアカラーの噴火によって
一つの島になりました。そのハレアカラー(Haleakala:「太陽の家」
の意。最後のaはカハコがつきます)は標高10,023フィート
(3055メートル)。最後の噴火はおよそ1790年頃だったと言われます。




 この標高からも分かるように、夏でも日の出前の山頂は厚手の
ジャケットを着込まないと凍えるくらいの低温です。この山頂から
見る日の出は幻想的でホテルを3時、4時に出なければならない
としても一見の価値のある風景です。

 そして、一方の西マウイにはプウ・ククイを中心とした西マウイ
山系があります。カメハメハ軍とマウイ郡の壮絶な戦いが繰り広げ
られたイアオ・ニードルはこの中央マウイ側にあります。

 マウイ島の花はご存知ロケラニ。私が以前エマ女王の夏の宮殿で
写したロケラニをフェイスブックに載せたかな、と思ったのですが、
載せてなかったので、こちらをご覧ください。
http://www.statesymbolsusa.org/Hawaii/flower_maui.html

 なので、島の色はバラ色(ピンク)です。このロケラニ、ハワイ
原産ではなく、1800年代初期に外国人によってもたらされたものが
後にラハイナの庭などに好んで用いられるようになったことから、
マウイの花になったようです。


 2.マウイ島をハワイアンが呼ぶ時は

 よく知られているニックネームは、"Maui no ka 'oi"(マウイ・
ノ・カ・オイ:マウイが一番!)。マウイの人達が「マウイ島が
一番美しいよ」と自慢する言葉です。

 高原からコオラウ山脈の雨林地帯、ハレアカラーにイアオ・バレー
美しい海岸線など風光明媚な島であることは間違いありません。

 このマウイ島と隣接のカホオラベ、ラーナイ、モロカイの4つを
合わせて"Maui nui a kama"(マウイ・ヌイ・ア・カマ:
「カマの偉大なマウイの地」)と呼び、マウイ郡を表します。

 これはKamalalawalu(カマラーラーヴァル:二つのラにはカハコ)
というマウイの首長の名前を縮めたものですが、親切でもてなしの
心を持った彼にちなんで付けられたものです。

 その祖父にPi'ilani(ピイラニ)という古代の首長がいます。
16世紀から18世紀に渡るマウイ島の黄金時代を代表する人として
語られます。このピイラニもワケアの子孫です。

 この首長を讃えて呼ばれるマウイ島の別名が、Na hono a'o
Pi'ilani(ナー・ホノ・アオ・ピイラニ:「ピイラニの湾」)です。

 ナーは複数を表す言葉、ホノとは二つの山裾の間に広がる三日月型
をした湾を意味します。昔「カアーナパリ:Ka'anapali」と呼ばれた
地域には「ホノ」という言葉から始まる湾が6つあります。

 それは、南から北へホノコーヴァイ、ホノケアナ、ホノカフア、
ホノルア、ホノコーハウ、ホノナーナーと続きます。

 ピイラニがこの地域を頻繁に訪れては釣りやサーフィンをして
のんびりと過ごしたお気に入りの場所であったようです。
そこからマウイ島を表す言葉として、「ナー・ホノ・アオ・ピイラニ」
が生まれたのです。


 3.マウイ島の歴史

 フラ愛好家の皆さんなら、半神のマウイがハワイ諸島をロープで
引っ張って来たとか、母(祖母というのもある)が少しでも長く
仕事ができるようにとハレアカラーの山頂に立って、太陽の足を
ロープで捕まえて括り付けたという伝説はご存知でしょう。

 その話とは別にマウイに人が住み着き出したのが、およそ紀元
450年ぐらい。最初に来たのがマーケサスの人種。その後700年頃に
タヒチから最後の定住者達がやってきたと言われます。

 その後15世紀まではワイルク、レレ(ラハイナ)、ハナが
それぞれ分かれて首長により統率されていましたが、西マウイが
統一され、1550年頃、先に説明したピイラニ王がハナの首長の娘と
結婚すると東と西が一つになります。

 この時からカメハメハ1世によりマウイが征服されるまで、
ピイラニとその子孫はマウイ繁栄の時代を築いて行きます。
この当時に島を一周するハイウェイを建設しましたが、それが
今でも残っているのです。

 その後、有名なカヘキリの時代にカメハメハ軍によってマウイ島は
征服されます。カメハメハ1世はラハイナに都を遷し、同じ頃
ラハイナは捕鯨船で賑わうようになります。その後1844年に首都が
ホノルルに遷るまで、ラハイナはハワイ諸島政治の中心として
栄えます。最初のイオラニ宮殿が出来たのはその頃です。

 19世後半の捕鯨が一番盛んだった頃には1年に400〜500の捕鯨船
がラハイナに立ち寄りました。

 同時に移民が多くなり、1828年にサトウキビ工場ができると
砂糖産業が盛んになり、そしてそれはパイナップルへと移行して
行きます。しかし、現在ではそのパイナップル産業も苦境を
強いられているのです。

 現在日本の皆さんに知られているマウイの産物と言えば、
クラのラベンダーとかプロテアの花かもしれませんね。

 長くなりましたので、詳しくはまたの機会にしましょう。

  
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<次号予告>

 マウイ島まで5つの島を特集しました。最後はマウイ郡の他の
島々、Nui a kamaのラーナイ島、カホオラベ島。モロカイ島です。

 どうぞ、お楽しみに♪


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