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ハワイが大好き!(1)- La Ho'iho'i Ea

ハワイが大好きな人は、何も現代の日本人に始まった訳ではありません。

キャプテン・クックの発見以来、「サンドイッチ諸島」と名付けられたその頃から、イギリスを始め、フランスやらロシアやらいろんな国の人が立ち寄るようになり、アメリカの宣教師がやって来て、あっという間にキリスト教国になってしまい、捕鯨船が来るようになり、この国を自分の国にしたいと思った人達もいたわけです。



ハワイで憲法制度が始まる前の1825年から1840年は、外国人の影響を受けて国内の政治が揺らぎ始めた時代であったようです。

1825年から40年と言ったら、日本では鎖国の最中。アメリカの独立戦争に始まり、ヨーロッパのベルギーが独立したり、アヘン戦争が始まったりした時代です。

一方のハワイは、アメリカ宣教師の渡来とともに宗教が代わり、ハワイに来る外国人も増えて、その勢力が徐々に増していく世の中になっていました。この頃には、今でも続く小売店がオープンしたり、鎖国中の日本に変わりハワイが捕鯨船などの立ち寄る主要な港になっていったりしていました。長旅の鬱憤ばらしに船員達が娯楽を求めたのも、ハワイの女性の人口を減らした大きな一因です。

ここは歴史の教科書でもなんでもないので、あまり詳しくないことは書かないこととして・・・

その様な中で1840年頃からアメリカ、フランス、イギリスの3国が太平洋上での勢力を伸ばし始め、1843年、イギリスの支配を守ろうとイギリスから戦艦がやってきます。フリゲート艦に乗ってホノルル港に着いたのはジョージ・ポーレット上院議員。彼はハワイ国王、カメハメハ3世との謁見を求めましたが、国王はラハイナにいて留守でした。通訳と話をするようにとの国王からの指示を無視したポーレット卿は、逆にハワイ側に数々の要求を突きつけ、その中には、イギリス領事が要求する一部の土地の299年に渡るリース契約も含まれていました。

国王と相談役達は割譲がやむを得ないことを認め、3国間の中からイギリスへの譲渡が決まったのです。

2月25日問題の土地では儀式が行われましたが、ハワイ語で短いスピーチをしたカメハメハ3世の言葉を通訳のドクター・ジャッドは「祖国の命を明け渡しました」と通訳をしました。しかし、国王は、ハワイ諸島の独立を回復するためにあらゆる手段を使うと宣言していたのです。ハワイ王国の国旗が降ろされ、代わってイギリスの国旗が掲揚されました。

難しいことを割愛すると、ここから5ヶ月間、イギリスの委託による支配が始まります。しかし、これも徐々にポーレット卿の独裁的になっていったため、イギリス海軍将校のリチャード・トーマスが旗艦に乗ってやってきます。トーマス将校はホノルルにいた国王に謁見すると、ハワイの独立を回復させることを意図とし、イギリスの支配も優先させて条約を結んだのです。

7月31日の朝、正式な儀式が開かれ、再びハワイの国旗が掲げられたのでした。その日の午後、カワイアハオ教会で行われた感謝祭の席上で国王は現在のハワイ州のモットーである、
Ua mau ke ea o ka 'aina i ka pono
土地の生命は正義がある限り永遠に続く
と宣言したのでした。

1843年7月31日
王国が復権した儀式を行ったその場所は、トーマス将校を讃えて、トーマス・スクエアと呼ばれる公園になっています。
この日をハワイ語で
La Ho'iho'i Ea(ラー ホイホイ エア)
と呼び、
今年は170年目の記念のイベントが行われました。
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